ニューオリンズのピアニスト。クラシックのテクニックと音の質で、ブルースを弾いた超人。レパートリーは、ブルース、ジャズ、ニューオリンズR&Bのスタンダードから、ビートルズ、レイ・チャールズ、ショパンまで、と極めて広い。その独創的なスタイルについて、ジョシュ・パクストンは、「ショパンのレベルで弾くレイ・チャールズ」 「リストとプロフェッサー・ロングヘアを同時に弾いているような」 と表現している。 また、リッキー・カストリロは、ブッカーについてこう語っている。 「ブッカーの中には、あらゆる音楽的才能を持った連中がうろついていたんだ。ルイス・モロー・ゴットシャルク、ジェリー・ロール・モートン、プロフェッサー・ロングヘア、ショパン、モンクなんかがね。そして、そいつら全員が、立ち上がってピアノへ向かうことを同時に決めたのさ。彼は、類いまれな、目ざましい天才だった」* しかし、その非凡な才能を抱えきるだけの器を、ブッカーの精神は持ち合わせていなかった。ピアノを弾くというのは、基本的に孤独な作業だ。自分の内面に存在する未知の領域を掘り下げていくことの繰り返しに他ならない。そんなややこしいことなど考えずに気楽に生きて行けたなら、それほどこころ穏やかなことはない。にもかかわらず、芸術家とは、「掘り下げずにはいられない」 人種なのである。その孤独な作業に耐え切れず、あふれかえる自我と創造力と感受性を持て余して、多くの天才達は自ら破滅の道を進んで行った。ブッカーもまた、そのひとりである。 生涯最後の年、ブッカーは、酒とドラッグびたりのライフ・スタイルを立て直そうと、市役所の事務員として働いた。しかし、掘り下げることをやめたからといって救われるはずなどないのが、天才の宿命である。彼の中にある 「表現されるべきもの」 は、真夜中に、闇黒の中で、「お前は掘り下げなくてはいけないんだ。決して逃げることなんてできないんだ」 と心のドアを叩くだろう。そのドアをこじ開けようとするだろう。彼はまたすぐに酒を飲み始め、その仕事を失った。 「四六時中、ピアノに向かってなんていたくないよ。ピアノのやりすぎは良くないんだ。大量すぎる水も良くない。溺れてしまう」** 最終的に、ブッカーは溺れなかった。しかし、結果的には同じことかもしれない。溺れるのを避けるためにドラッグに逃げ道を求め、大量のコカインによる心肺不全のため、苦痛の中、誰にも気づかれずに、孤独にこの世を去った。 ブッカーの音楽は聴く人の心に強く訴え、その感情を大きく揺さぶる。それは天才の悲痛な叫びだが、決して崇高なものではない。この地上でもがき苦しんだ者の、血の通った、肉を持った痛みと孤独である。多かれ少なかれ、誰しもが心に抱えている痛みと孤独だ。そしてその叫びの中にまぶしく輝くものは、魂の奥深くにひそんでいるダーク・サイドを覗き見てしまった天才のきらめきである。 *原文 : "Resurrection of the Bayou Maharajah" ライナー・ノーツより **原文 : "Spiders on the Keys" ライナー・ノーツより |
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