A Tribute to James Booker
at Loyola University's Louis J. Roussel Performance Hall

ジェームス・ブッカー トリビュートコンサート

 Prologue : Cafeteria Hunting

 誰もいない。ボックス・オフィスさえ開いていない。早すぎたのだ。そうだ、ここは、ビッグ・イージーだったのだ。開演の2時間半前に来る物好きは私くらいのものである。前売り券を手に入れたかったのだが、問い合わせ先に電話をしても、行われるコンサートの予定をつらつらと読み上げるテープが流れているだけで、らちがあかない。ルイジアナ・ミュージック・ファクトリーのお兄さんに訊いたら、
 「これは、当日券を買うしかないんじゃないかな。でも、たぶん、すごくたくさんの人が来ると思うよ」
 とのことであった。このコンサートを見逃したら一生後悔すると思った私は、当日券が売り切れになるのを恐れて、早々と到着したのである。しかし、誰もいないのだ。早すぎたのだ。夕飯時なので、おなかもすいてきた。一緒に来た Mr. M も、なんだか不機嫌である。空腹と退屈は、彼をいらいらさせるのである。大学の周りには、レストランどころかお店ひとつもない。通りすがりのお兄さんに訊いてみる。
 「すみませーん、この辺に、何か食べられるところはありますか?」
 「この先をしばらく行ったらあるけど、暗くなってきたから、歩くのはよしたほうがいいよ」
 なるほど。しかし、もう一度ストリート・カーに乗って食事をして、また戻って来るというのも面倒である。第一、そんなことをしている間に、ボックス・オフィスが開いてしまったりしたら、元も子もないではないか。やはり、ひたすら待つしかないのか。と、その時、Mr. M がおもむろに言った。
 「ここは大学なんだから、チョコレートの自動販売機か何か、どこかにあるはずだよ。もしかしたら、カフェテリアだってあるかも知れない」
 ということで、我々は、「ロヨラ大学内チョコレート・マシーンか運が良かったらカフェテリアハンティング」 に出発したのである。

 初めに入った建物は図書館らしく、あるのは本とコンピュータばかりである。やはり世の中はそんなに甘くないのか。しかし二つ目の建物に入った途端、なんともよい匂いが。カフェテリアだ!さすが、Mr. M 。私より長く生きているだけのことはある。入口で食券を売っているお姉さんに、とおずおずと訊く二人。
 「あのー、ここは、学生だけですか?」
 お姉さんはちょっと驚いたようだったが、にこやかに券を売ってくれた。さて、中へ入ると、なんと、ビュッフェである。日本で言うバイキングである。サラダ・バーから始まって、ハンバーガー、ピッツア、スパゲッティ、シチューなどがそれぞれ数種類ずつ。付け合わせの温野菜も、デザートも飲み物も種類が豊富である。これを好きなだけ食べ放題なのだ。すごい。カルチャーショックである。大学のカフェテリアがこんなんで良いのか。味もなかなかである。ロンドンのレストランよりおいしい。

 さて、お腹もいっぱいになったところで、ホールの前へ戻ってみると、やっとちらほらと人の姿が見える。でも、ボックス・オフィスは相変わらず閉まったまま。周りの人に訊いてみたが、誰も何時に開くのか知らないのである。ああ、愛すべきビッグ・イージー。結局、オフィスが開いたのは、開演の1時間前の6時半、ホールの入口が開いたのは7時であった。だから、早く来すぎだってば。




a photo from the program
"James Booker in a white suit"


 Sugar B

 このイベントが行われたのは、11月9日。これは、ちょうど20年前、ジェームス・ブッカーがこの世を去ったことに拠っている。(ブッカーの命日は1983年11月8日) 私は午前中、ブッカーのお墓参りをしてから、夕方、コンサートへ向かった。一番乗りでチケットを買って中へ入ると、がらがらである。大丈夫かよー、人集まるのかよー、という私の要らぬ心配をよそに、開演直前になると、どやどやと人が入って来て、けっこう広いホールが満席になった。みんな、ただのんびりなだけなのである。ビッグ・イージーなのである。

 "Sugar B" と題されたフィルムは、ドイツ人の音楽史家であり脚本家であり、そしてジェームス・ブッカー愛好家である Helma Kaldewey と、これまたドイツ人の映画製作者 Stephan Sachs によるもので、今回の上演は、2004年のベルリン・フィルム・フェスティバルに先駆けての封切りである。プログラムには、
 「"Sugar B" は、従来の感覚で言う、"ある音楽家の肖像"的なものでも、型にはまったミュージック・フィルムでもありません。"Sugar B" は、フィルム・エッセイです」
 と書かれていた。これだけ読むとなんだかよくわからないが、実際にフィルムを見ると、納得である。生前のブッカーを知る人達へのインタビュー、(ハリー・コニック・ジュニアの父が出た時には、会場は大爆笑であった) ブッカーの写真、コンサートの映像、ニューオリンズの風景などが、ナレーションもなく繋ぎ合わされている。インタビューの部分は、ブッカーのエキセントリックな人生について語ったものが多かったが、全体的には視聴者に解釈をゆだねる作りであったように思う。100人の人がいたら、100通りの解釈があるというのが芸術である。

 私の心を打ったのは、コンサートの映像であった。これまで写真でしか見たことのないジェームス・ブッカーが、動いているのである。ピアノを弾いているのである。歌っているのである。曲がバラードだったためかもしれないが、ほとんど体を動かさずに、ゆったりと弾く。痛々しいほどに顔をゆがめて歌う。本当に、生で見たかったと思う。しかし、ブッカーが素晴らしい音楽を奏でていたこの頃、私はまだほんの子供で、日本の田舎町でクラッシク音楽を日々練習していたのであった。この先、一人のニューオリンズのピアニストが自分の人生を変えることになるなんて、夢にも思わなかった頃の話である。




Patchwork : A Tribute to James Booker
CD Jacket



 Patchwork : A live tribute to James Booker

 With Performances by;

  • Tom MacDermot, Piano
  • Josh Paxton, Piano
  • John Rankin, Guitar
  • Henry Butler, Piano
  • Leigh Harris, Vocals
  • Larry Seiberth, Piano

 ジェームス・ブッカーが死んだ時、"the New Orleans Musician's Clinic" は存在しなかった。コカインのオーバードープで倒れたブッカーは、チャリティ・ホスピタルへ運び込まれ、待合室で、誰にも気づかれずに死んで行くしかなかったのである。今回のイベントの収益と、"Patchwork : A tribute to James Booker" という名で作られたCDの売上げは、全て "the New Orleans Musician's Clinic" へ行くことになっている。このCDは、様々なミュージシャンが、ジェームス・ブッカーの曲、または、ブッカーにインスパイアされて作った曲を集めたもの。名前の通り、パッチワークである。

 "Sugar B"の上演の後は、休憩をはさんで、このCDで演奏しているミュージシャンによるコンサートであった。まず初めに、Tom McDermott、そしてJosh Paxton とつづく。Tom McDermott は、CDのジャケットも描いている、多才な人である。この絵は、ジェームス・ブッカーが天使の格好をして雲の上でピアノを弾いているというもので、ものすごくかわいい。Josh Paxton は、ブッカーの音楽を楽譜にして出版したり (The James Booker Collection)、音楽雑誌 "Offbeat" にブッカーついての記事を書いたりと、世にジェームス・ブッカーの真価を伝えるために、色々と貢献している。私自身もこの楽譜にはお世話になった。ブッカーのあの複雑な音楽を正確に楽譜にするには、気の遠くなるような時間と労力を費やしたはずである。彼の書いた記事からも、ブッカーに対する熱い思いが伝わって来る。

 さて、演奏の方であるが、両者とも、べらぼうなテクニシャンである。もちろん、テクニックがなければジェームス・ブッカーは弾けないのだが、それにしても見事である。この二人は、後ほど、"Tico Tico" を2台のピアノで弾いたのだが、これもまた超絶テクニックの凄まじいピアノ・バトルであった。バーボン・ストリートに2台ピアノを売りにしているバーがあって、通りがかりに何度か覗いたが、この2人に比べると、あんなものは子供のお遊びである。

 次に現れたのは、John Rankin、この夜唯一のギタリストである。申し訳なさそうに現れて、
 「なんだか場違いでやりにくいよー」
 というようなことを言って笑いをとってから、演奏を始めた。ギターとブルース・ハープで演奏されるジェームス・ブッカー。彼の演奏は残念ながらCDには入っていない。ちなみにCDには、この晩のミュージシャンの他に、Marcia Ball、Sanford Hinderlie、Joe Krown の演奏が入っている。Joe Krown はプログラムに名前が載っていたのだが、どうやら予定変更になったようで、残念である。

 さて、待ちに待った Henry Butler である。すごいすごいと話に聞いていて、ずっと生で見たかった人である。CDやホームページの写真ではいつもタフでクールに写っているヘンリーであるが、実際に見るとかなりイメージが違う。なんかかわいい。話し方も優しそうだ。そして、ここから私の人生における一大事が始まる。すごいのだ。何がすごいって、彼を生で見たことのある人ならわかると思うが、見たことのない人は絶対にわからないであろう。私だって、こんなものは予想不可能であった。Henry Butler が弾くと、ピアノは全く別の生き物である。Tom McDermott も Josh Paxton も見事ではあったが、ヘンリーのすごさはテクニックうんぬんの問題を超えての、ど迫力である。グランドピアノがぐわんぐわん鳴る。「音」 が違うのだ。ピアノというのは弾く人によってがらりと音を変える。ジェームス・ブッカーの魅力のひとつはこの音の良さなのであるが、残念ながら、ライブで体験することはなかった。ヘンリー・バトラーはピアノと一体となって 「俺がヘンリー・バトラーだ」 と主張する。ピアノからこんな音を引き出す人を、私は他に知らない。その個性、存在感、スピリットに、すっかりショックを受けてしまった。後ほど、この日演奏した曲をCDでも聴いたが、あの迫力は伝わってこない。CDももちろん素晴らしいのだが、やはり生で見たい人である。

 最後にステージに登場したのは Larry Seiberth のピアノで歌う Leigh Harris 。ジェームス・ブッカーの人生を歌った "Provifrnce Provides" という曲でこのコンサートは幕を閉じたのだが、この切ない曲を、私はじっくりと味わうことができなかった。ヘンリー・バトラーのピアノがあまりにもショックで、その世界から抜けきれなかったのである。なんとももったいないことではあるが、それと引き換えにしても、彼が生ピアノを弾いているのをライブで見ることができたのは、貴重な体験であった。

 Epilogue : Lucky T-shirt

 この晩、私の身に、もうひとつ素晴らしい出来事が起こった。ジェームス・ブッカーの姪、という人に出逢ったのである。休憩時間に入ったレストルームで、私の後ろにいたシスターが、
 「そのTシャツ、どこで買ったの?」
 と訊いてきた。私はこの日、敬意を表して、お手製のジェームス・ブッカーTシャツを着ていたのであった。そしてこのシスターが、ジェームス・ブッカーの姪だったのである。その後、私は彼女の家族に紹介され、ひとりひとりと握手をして回った。
 「これが私の妹で、これが私の娘で、、、、」
 くらいまでは覚えているが、何しろ大人数だったので、その後の記憶は曖昧である。Tシャツを作って彼女の家へ送ることを約束して、ハグをして別れた。これも、ジェームス・ブッカーTシャツのおかげである。この日から、このTシャツは、私のラッキーTシャツとなったのであった。




my lucky T-shirt








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