この時期、ジェームス・ブッカーの人生は絶好調であった。1975年に出演した "Jazz and Herritage Festival" で一気に注目を集め、ヨーロッパでの演奏旅行へ招かれることになった。翌年には、彼のベストアルバムとして評価されることの多い "Junco Partner" を発表し、イギリス、ドイツを演奏して回った。1977年には再びヨーロッパツアーへ繰り出し、数々のフェスティバルで演奏した。そのライブ録音の一つが、この "New Orleans Piano Wizard ; Live!" である。このアルバムは、その年のベスト・ライブアルバムとしての賞を獲得し、翌1978年には、モントロー・ジャズ・フェスティバルへの出演を果たした。すべてがうまく行っているように見えた。
しかし、ヨーロッパから帰って来たブッカーは、まるで別人のようであったという。ケープやアイ・パッチをまとったブッカーをステージの上で見ることは、もはやなくなってしまった。精神状態は悪くなり、精神科でたびたび診察を受けたりもした。しかし、結局、1983年にこの世を去るまで回復することはなかった。
このアルバムを聴くたびに、私は、この後ブッカーがたどることになる人生を思い、やりきれない気持ちになってしまう。何がいけなかったのか、と思う。こんなに自由自在にピアノが弾けて - まさに "Piano Wizard"、 「ピアノの魔法使い」 と呼ぶにふさわしい - こんなに大勢の観客が彼の音楽を愛していたというのに。
Earl King は、こう語っている。
「ブッカーは、時折、フラストレーションに陥ることがあった。彼は自分が弾けるってことを知っていた。だから、そんなことは問題じゃなかったんだ。弾くこととは別に、おそらく、彼が日々の生活でやりたくても実際にはやれなかったことがあって、それが彼をいらいらさせていたんだと思う」
ブッカーが望みつつ得られなかったものとは、何だったのだろう。日のあたる道 (sunny side of the street) を歩くことであろうか、真っ暗な夜 (black night) に怯えることのない生活であろうか。それとも、誰かを愛することであろうか。"Please send me someone to love" というのは、ブッカーの切なる願いだったのであろうか。このアルバムを聴いていると、そんな思いは尽きることがない。
しかし、今日のところは、余計な詮索はやめにしよう。魔法使いの魔法に身をゆだねてしまおう。 "Wizard" という単語には 「名人」 や 「天才」 という意味もあるが、このアルバムのタイトルに関しては、私はやはり 「魔法使い」 であると思う。魔法使いの手によると、音楽はたちまち魔法となり、我々を現実とは別の世界にいざなってくれるのだ。
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